アドヴェントカレンダー11日目・試験一週間前のレッスン

 私はベルギーの二つの音楽アカデミーでパイプオルガンを教えています。

パイプオルガンは17世紀以降現代までの作品を演奏するので、レパートリーはとても豊かなのですが、ベルギーでもマイナーな楽器です。私のクラスにいる人たちは皆さん「『たまたま』どこかで聴いて弾いてみたくなった」という感じなので、夢が叶いました系の方が最も多く、どうしてもパイプオルガニストになるんだ!と最初から思っている人はさほど多くありません。クラスがいっぱいにならない年は、ピアノのクラスの空きを待っている子供を「オルガンも一年目はだいたい同じですし、ピアノの先生も一年鍵盤をやった子は取ってくれやすいですよ」とお伝えしてクラスに迎えたりもしています。


そんなわけなので、パイプオルガンを始めるとほぼみんなオルガンの魅力に目覚めて熱心に練習するようにはなりますが、試験の時に「みんなの前で弾きましょう」ということになると「えーっ私そういうのは求めてないんです」みたいになって尻込みしてしまったり、本番で失敗したことがあったりすると恐怖体験になって試験のたびに落ち着くためのお薬(非常に軽いものですが)を飲んできましたという大人もいたりして、過剰に大変な感じになります。


先生になって最初の頃は、人前で弾くのが平気なタイプの生徒と、平気じゃないタイプ、のように分けて考えてしまっていたのですが、実際、なぜ自分自身は人前で弾くのが平気なのかを深く自問自答しているうちに、なんとなくわかってきたことがあります。


たとえ下手っぴな演奏でも、私は人前が全然嫌じゃない子供でした。子供なのに「言いたいことがある」となんだか思っていて、それはとどのつまり、人に話を聞かせたいと思っているという感じでした。一体どんな大事な話があったのかは今は忘れましたが、話を聞いてくれる人がありがたかったです。なので、発表会の時に演奏を聴いてくれる人たちがこうして列になって座って待っていてくださるというのはなんとも感激的なことでした。当時はそこまでわかっていませんでしたが、小さなホールの客席に人が座っている景色の高揚感は、今でも覚えています。


聴いてもらう喜びを知るために、私は試験の一週間前には数人ずつで「本番のふり」レッスンをするようになりました。子供がいると、大人も本気度が上がるのがまた面白いです。大人だけだとみんな「もうちょっと練習したいから」という感じに「逃げ」が残ることが多いのに引き換え、子供たちはパッと真剣な顔になってびっくりするような集中力を出してきます。


・自分の名前と演奏する作品の題名を校長先生に伝えるとき、はっきりゆっくり言う

(教会なので音響があって離れて座っている校長に言葉が届かないから)

・まず自分に弾きやすいベンチの位置を覚えておいてそこにセットし、ベンチに後ろ向きに乗って、くるっと前向きに座る(この方法だとベンチがガタ付かず、位置が動かない)

・弾き終わったらみんなで拍手するのでまた逆にくるっとベンチから降りてきてお辞儀して下向いて1、2、3と数えてから顔をあげ、ゆっくり席に戻る(走らない)


書き出すと何行にもなる、細かい流れですが、教えておきます。子供たちが先に弾くので、子供たちに向かってまず教えると、大人も見てるのでやってくれます。子供たちは実に嬉しそうに登場し、弾いてくれます。私はここではオルガンの先生なのですが、その顔を見られただけでいい、とおばあちゃんみたいな感情になるくらい、幸せそうです。


そのあとで大人の生徒は、お辞儀がしたくないとは言い出せません。子供じみていて恥ずかしいというようにもじもじしていた高校生も、小さい子が簡単な曲かもしれないけれど小さな手を思い切り伸ばして立派に音を出して弾くのを見たら、あれ?すごいな、となるのが空気感で伝わってきます。


「本番のふり」が終わると、全員で自分で思ったことや他の人の演奏についてコメントをします。校長先生はなんて言いそう?など。数人だし、実は本番じゃないということで、かなり生き生きした意見が出ます。大抵は褒め合ってて面白い。最終調整的に私にもまだアドヴァイスがあるので、気になったところではちょっと誘導するように、「例えばz君の、xxxのところとか、みんなはどう思った?」と訊くと、大体の場合「すっごくよかった」とか「言うことないです」とかめちゃくちゃポジティブなコメントが出るのです。


私はそこで生徒さんがちょっとはにかみつつ嬉しそうなのを見て、褒めるのって嘘つけないし難しいなあ!と感心します。こんな嬉しそうなのは、本気でみんな褒めてるんだなあ。と。先生ってヤクザな商売だなあと。だっていくらでも言うことがあるので、なかなか褒められないのです。


そんな中、二度目をやります。一回のレッスンで、二度「本番のふり」をやるよ、と伝えてあるので、ここで挽回するチャンス、のようにみんな思っています。弾く前に個別に私が直すところを短く伝え、もう一度本番の流れで弾いてもらいます。


これは明らかに一回めより上手く弾けるケースが多いです。試験当日に、リハーサルを一回してから本番を弾く流れの練習にもなるし、お互いの曲を2度聴くと、曲を知った状態で聴ける、というグループにとっての効果もあります。でも一番良いのは二度目はもう何も言わなくてもお辞儀とか振る舞いが既に自然になっていること。


大きい生徒が弾くとき、ちょっと飽きてきたなという子供がいれば、机のところに行って静かに絵を描いても良いことにしているのですが、先週の試験前「本番のふりレッスン」の時、その曲に合わせて静かに頭を振りながらお絵描きしている子がいて可愛かったです。一回目はじっと聴いていたのに2回目は少し知ってる曲になったんだな。そういう姿を見ると音楽ってすごいなと思います。


音の芸術というのは目に見えない本当に不思議なもので、さらに言えば、時間の芸術でもあるので曲の頭から聴かないと話全体はわからない、小説みたいなものです。


大人も子供も、その「良い話をみんなでシェアしてるんだ」と言う感覚を持ってもらって、試験の日にはあまり自分のこと(結果など)は気にせずに、集まって音楽を聴き合える機会を楽しみにしてもらえたらいいなと思います。


このように「本番のふり」2回だけですが、そのレッスンを経て本番に臨む生徒さんたちは、あとで訊くと本番すごい緊張した、とは言うけれど決して「嫌だった」とはいいません。準備を頑張って、校長先生が聴きにきてくれるなんて嬉しい、そんな雰囲気にできたら、私も先生として合格、と思っています。そうは言っても私もいっぱい失敗しながらここまで来たもので、試験で上手く弾けず落ち込んでしまった気の毒な生徒さんのケース、試験官の先生が高圧的で私もショックだったケースなど。。。生徒の試験前には走馬灯!?のように、色々思い出すのです。



追記💦

クリスマス前は、ベルギー全土が試験のシーズン(!)の上、聴くか弾くかのクリスマスコンサートが毎週ある。クリスマスのミサの練習と打ち合わせも日々怒涛のようにあります。なんなら年末までに出す書類も半端ない。ほんとクリスマスどころじゃないです。






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