アドヴェントカレンダー7日目・何を食べるか何を着るか

 「何を食べるか何を着るか、思いわずらってはならない」

というフレーズは、聖書に書いてあるのですが、これはなかなか難しい。


日常では「今日の晩御飯決めてなかったな」とか、決め手に欠けるから思い煩い。

非日常では、お客さんを招待してご飯、というようなとき、あるいはレストランでメニューを開いて、いろいろ選べるから思い煩い。


わがまま言ったり贅沢しちゃいかん、ってことかな、ぐらいに子供の頃は思っていました。

あと着るものは質素でいなさい、という教えなのかなと。


しかし大人になると、人間の生活は食べるものと着るものについては、充分に考えて行動しなければさまざまな弊害が生まれて来るなあと実感します。質素ならいいってものでもない。社会的にも、避けて通れない二つのこと。衣食住の、住の方はいったん居を構えたらそれほどしょっちゅう考えることもないですが、居と食は日々毎日!ああ大変!


音楽を演奏する体力が優先なので、私は3食しっかり食べていますが、家族で食べる内容を思い煩わないようにノートに週ごとにメニューを書いています。あとは食べる量を思い煩わないように、ちょうど良い大きさのお皿を使っています。外食で思い煩わない、というのは難しいですが、メニューがひとつしかないレストランにこの間行き、いいな!と思いました。店を選ぶところからして思い煩うのだから、もう店入ったら後はどん!と出てきたものをただ食べたい。


着るものに関しては、私はハレの日の衣装が必要ということと、普段着はオルガン弾くためパンタロンなので、その二種類の服を持っています。ドレスアップする場合とドレスダウンする場合、みたいに考えて、わかりやすく並べてハンガーにかけています。暖房の入っていない教会での仕事用に、黒の(スキーパンツに見えないような)スキーパンツもあります。靴下の厚みとサイズが、履いていく靴かブーツに合うことも大事。洋服に関してはあまり迷わないタイプでもあり、一応思い煩わない対策をこんな感じにしています。


煩悩が芽生えたのは、和服にはまってからです。和服だけでもオルガンもある程度は弾けるしずっと暮らせると思うほど、実は洋服よりも好きになってしまったので、そこでもハレの和服と普段のと両方が必要、ということになって、あれよあれよという間に「和服用のたんす」が部屋に出現してしまいました。

色々なTPOに合う和服がまあ一通り揃ったので、そういう意味では「もう思い煩うことはない」ですが、そこまで揃えるのにかなり「思い煩いました」。

今ではこの和服にはこの帯にしようとか長襦袢の半襟を付け替えようとか、そこに思い煩いの火種がありますが、思い煩いがあるほど、その情熱に後押しされて日々和服を着るのが苦にならないのも確かだなあ、と思う。

まだ和服の組み合わせが上手にできないので、着付けの練習をしてもなんか違うなあ、と思うことが今年の後半は増えました。これとこれは合うのか?合わないのか?

思い煩うな、と言われたらこれ以上着付けが上手くならない。。。と悩むところです。


。。。まあ、聖書の本当の意味は「他にもっと大事なことがあるんだからそれを忘れないように」という意味もあるのでしょうけどね!


***


追記💓

何を食べるか何を着るか。心が躍ること自体には害はない。過剰になった途端、重苦しくなり喜びもスポイルされてしまうだけですよね。いつか和服だけで暮らすおばあさんになれたらいいな。








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