アドヴェントカレンダー23日目・文化がある人

 仏語の表現で、直訳すると

「あの人は文化があるからねえー」

という言い方があります。


文化がある、を和訳すると「教養がある」になるのだろうなと思うけれど、教養という言葉はキョウという音が「お勉強」に似て、勤勉さの際立った表現だと思います。


"Il est cultivé, lui!"

と人が感嘆の気持ちを込めて言う時、あの人は深いね、というか、普段は気づかなかったけれど実はそうなんだねという驚き、意外な感じの気持ちが含まれることもあります。


cultivéはカルチャー、文化的であるという意味の動詞で、受け身です。

そして、土を耕すときもこの動詞を使うのです。

でも「『あの人は耕されてるね!』と言っているようなものだね!」と私が言うと、仏語母国語人には「文化」と「耕す」は全く違う二つのコンセプトなので「面白いこと言うね」ぐらいの返事しか返ってきません。

それは外国の人が「端と橋って同じ音だから共通の意味がありそうだね」と言い出して日本語母国人としては困ってしまうようなものです。


多分、仏語で言う、文化がある人というのは、教養のある人というよりは色々なジャンルを縦に深く、横に幅広く、縦横無尽に思考できる人のことだと私は思います。そういう人の特徴は、

1。知っていることを吹聴しない

2。長い話でかなり脱線しても軽やかに戻ってくる

3。ひっそり暮らしている(隠居しているわけではない)、もっと言えば恐ろしく普通の人みたいに暮らしている

4。知っていることに重きを置いていない

5。思考することに生活の重心があるように見える

です。もっとあるけれど、とにかくこの5点が共通している。男女問わず。関係あるかはわからないしそのこと自体は人格としての特徴ではないので含めませんでしたが、お金持ちでもないし貧しくもない。それにしても、どうしてそういうことができるのでしょう?


私はそういう人と話すと「これはやっぱり人としていいよなあ」と感服してしまうので、何だかどうしてもじっくり観察してしまうのですが、外見のことをいえばたいてい晴々とした顔をしています。

生まれつき文化に傾倒している家庭に育ったからなのか?というとそんなに簡単でもなく、多分苦労した人は多いように見受けられます。そこから知識の土壌を延々耕してきて、最終的に晴々とした顔をできるところまで行ったのだ、というのが公平な見方かもしれません。


ここまで毎日、アドヴェントカレンダーの形式で「音楽の人は」というお題を絡めつつ、私はそれぞれ関係のない話を書き連ねてきました。そこで私が話したかったことは、なんなのかなと考えた時に、そうだなこれだな、と今日思いました。人生の長い日々の中で、cultivéだなあ、と周囲の人が言うような人になるということ。そういう人がここに一人いて助かるなあ、という、社会にとって精神的な銀行みたいな存在に。


オピニオンリーダーとは違って、そういう人は解決法を出してきません。答えを知っているという顔を絶対しないのですが、どこら辺に答えがあるのか、周囲の人に見せることができる。どうしてそんなことができるのでしょう?


そんな人になってください、と私は言われている気がするし、私もみんなに言いたい。そんな人になってくださいと。たくさん本を読み、たくさんのことを見聞して、たくさんの悲しみと喜びを知り、毎日絶え間なく耕して、土壌をふかふかにしてくださいと。時々良い音楽を聴いて晴々とした顔をしてくださいと。


簡単なことではないのですが、私はこの目でそんな人たちをしっかり見てきました。そうした人たちはちゃんとあなたの周りにいます。圧倒的にエレガントな人たち。逆にそんな威張る?というくらいマウントを取ってくる人たちもいるわけで、その対極のあり方を見比べると「そうだ、私は選択しなきゃいけないんだな」と思わされるのです。


追記😌

面白いと思う話を一生懸命書き連ねてきたら、もう12月23日です。アドヴェントは長いようで短い。陽の短くなる毎日を12月21日まで心のともしびで照らしながら過ごし、ここからは冬の一番楽しい季節!醍醐味はやはりクリスマス明け。豊かな冬を皆さんも楽しく過ごせますように💓










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